Anthony Al-Jamie

Anthony Al-Jamie

Anthony Al-Jamie lived and worked as an educational administrator and journalist in Tokyo for over 20 years. His in-depth understanding of Japanese language and culture has allowed him to carry out interviews with many of the most renowned individuals in Japan. He first began writing for the Tokyo Journal in the 1990s as Education Editor, later he was promoted to Senior Editor, and eventually International Editor and Executive Editor. He currently works in higher education publishing and serves the Tokyo Journal as Editor-in-Chief.

Friday, 26 June 2015 19:37

X Japan Rocks New York - PATA

X Japanの不動のギタリスト

ロックに生きる真のロッカー

 

TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
PATA: 中学生の時、妹がアコースティック・ギターを持ってたんですよ。それでテレビとかでチープ・トリックとかを見てちょっとギター弾いてみたいなーと思って。それで触ったのが初めてかな。

TJ: 譜面を読む勉強をされましたか?
PATA: はい。楽譜や本を見てよく練習しました。

TJ: 譜面を読むのは得意ですか?
PATA: いや(笑)。

TJ: 初めてバンドに参加したのはいつですか?
PATA: 16歳の時、高校の友達と一緒に始めたのかな?Head Rockか、Black Roseっていう名前のバンドだったかな。ちょっと忘れちゃった。ギターでした。アイアン・メイデン、ラウドネス、ジューダス・プリーストのカバーを2年ほどやってました。その後、オリジナルの曲をやるバンドをやったかな。そこでドラマーが抜けてしまって、でYoshikiに会うわけです。それが1985年。19か20歳の頃でした。YoshikiとToshiはXをやっていて、でもXはメンバーがToshiしかいなかった。Yoshikiは3週間くらいうちのサポートをしてくれていて、それで知ってました。で、Xがギタリストが抜けてしまってメンバーを探していたと。ある年のお正月ぐらいにYoshikiから電話がかかってきて、ギターを弾いてくれって言われたんですよ。そこからなんか知らないけどずるずるといますね。それが始まり。

TJ: X Japanのどんなところが特別ですか?
PATA: メンバーだからわからない。だってね、中にいるからわかんないよ。

TJ: ToshiさんとYoshikiさんについて教えてください。
PATA: Toshiは歌うまいよね。Yoshikiは、何だろう、あのドラムには持ってかれます。そこに尽きるんじゃないかな、もう。エネルギーの塊みたいな奴だから。最初に昔やってたバンドに入ってくれって言ったことがあるんですよ。だけど、逆にXに入ることになっちゃった、みたいな。

TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
PATA: HEATHは途中から入って、頑張ってくれてるよね。とても寡黙と言えば寡黙。割とおとなしいかな。あまりしゃべらない方だけど、フレンドリーな人ですよ。

TJ: Yoshikiさんから、PATAさんはお酒を飲むとよくしゃべると伺ったのですが。
PATA: その通り。今度はぜひお酒を飲みながら。その方が楽だ。

TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
PATA: SUGIZOはLUNA SEAやってる頃から知ってる。一緒にギターを弾いたのはXで初めてかな。バンドで一番気を使ってくれる人かな。

TJ: SUGIZOさんとPATAさんはよくライブの後一緒に飲みに行かれるそうですね。SUGIZOさんがお二人は昔ながらのロッカーで、ライブの後には飲みに行かないと気が済まないとおっしゃっていましたが。
PATA: うん、セットだからね。ライブとお酒。

TJ: デリケートな質問ですが、亡くなられたHIDEさんとTAIJIさんとの良い思い出について教えてください。
PATA: 一番良いのはやっぱり一緒にステージに立ってられたことかな?まぁあとは一緒に飲んでたぐらいかなぁ。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
PATA: まぁ楽しかったなっていうのが一番なんですけど、うーん、なんだろう。ステージに立てて良かったなーと思うかな。マディソン・スクエア・ガーデンの。特別な思い入れはありました。レッド・ツェッペリンの「The Song Remains the Same」で育った人ですんで、一緒かと思えば、ちょっと嬉しかったの。

TJ: 横浜アリーナで再びライブをしていかがでしたか?
PATA: あぁ、久しぶりだったしね。とりあえずどこでも楽しいかな。おっきくてもちっちゃくても、どこでもとりあえずステージの上は楽しいや。

TJ: 海外に住まれたことは?
PATA: ロサンゼルスでアパートを借りたことがあります。3〜5年くらい。

TJ: 将来海外に住む予定は?
PATA: 明日の飯の予定も立ってねぇからな・・・わかんねえっす。

TJ: 夢は何ですか?
PATA: 死ぬまでギター弾いてられたらいいかなぁ。そんなもんでいいんじゃないっすか(笑)。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンが終わって、これからライブをしたいところはありますか?
PATA: うーん、どこにしよっかな・・・ヤンキース・スタジアム(笑)

TJ: 若いミュージシャンに向けて何かアドバイスはありますか?
PATA: やってりゃ楽しいことあるんじゃない?ってか、keep on rockin’ってことじゃないですかね。

TJ: ありがとうございました。PATAさんはクラシックなロッカーですね。
PATA: 俺をクラシックにしないでくれ(笑)。まだ生きてるよ(笑)。

 

 

 

Friday, 26 June 2015 19:28

X Japan Rocks New York - SUGIZO

衝撃のギター&バイオリンSUGIZO

その胸中をストレートに語る

 

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
SUGIZO: 最高でした。名誉ある場所で、ベストを尽くしました。世界各地から来たファンの皆からの熱い思いを感じました。ライブの間中、結束感がありました。僕にとってはそれが一番大切で、すごく嬉しかったです。僕のギタープレイはベストではありませんでしたが、あの情熱は最高でした。X Japanのファンの皆が本当に大好きです。素敵な人たちです。

TJ: なぜギタープレイはベストではなかったと感じられたのですか?
SUGIZO: わかりません。いつももっと良くなるだろうと思っていますし、ミュージシャンとして成長して、もっと良くしたいと思っています。

TJ: 9月の横浜でのライブと10月のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブはどう違いましたか?
SUGIZO: スタッフはほとんど一緒でしたが、ステージが違いました。マディソン・スクエア・ガーデンのステージは本当に小さいんです。東京ドームや横浜アリーナの方がずっと大きいです。そこが大きなチャレンジでした。でも、第一印象は「マディソン・スクエア・ガーデンってそんなに大きくないんだ。オッケー、オッケー。わかった」という感じで、リラックスすることができました。

TJ: ファンの皆さんはどうでしたか?
SUGIZO: 最高でしたよ、もちろん。いろんな人種の人が来てくれていて、素晴らしい光景でした。彼らの気持ちや情熱が、本当に素晴らしかったです。いつでもまた皆のために演奏したいです。

TJ: ギターもバイオリンも素晴らしい演奏ですね。バイオリンはどこで習得されたのですか?
SUGIZO: 両親がオーケストラの団員で、音楽教育にすごく熱心だったんです。バイオリンを始めた時はまだ3歳だったので、初めて弾いた時のことは覚えていませんが、両親の思い入れが強すぎて負担でした。小さい頃はバイオリンを弾くのが嫌いだったし、音楽も嫌いでした。

TJ: ご両親はお二人とも東京都交響楽団の団員だったのですよね。
SUGIZO: はい。それで子どもの頃、強制的にバイオリンを習わされました。子供の気持ちなんて考えてなかったのだと思います。ただプロの音楽家になってほしかったんです。

TJ: 英語はどうやって勉強されましたか?
SUGIZO: 英語は得意ではないんです。娘に毎日笑われています。この子が娘の瑠奈です。カリフォルニアに住んでいます。

TJ: 初めまして。アメリカには長く住んでおられるのですか?
LUNA: はい。ずっとこっちに住んでいます。

TJ: 娘さんには幼い頃から音楽を教えられましたか?
SUGIZO: いえ。本人がやりたいのなら、もちろん何でも喜んで教えてやろうと思います。今は歌をやりたいようです。歌とダンスが好きみたいです。聞いてみてはいるのですが、どうなんでしょうね。今は18歳で、難しい年頃です。娘が望むなら心から応援しますが、本人次第ですね。

TJ: アメリカに住んだことは?
SUGIZO: ありません。ロンドンには、初のソロプロジェクトのレコーディングで1年ほど住んだことがあります。ロンドンにはたくさん友人がいたし、現地の文化やミュージック・シーンなど、丸ごと楽しみました。ドラムとベースの層が厚いんです。イギリスのテクノやヒップホップは素晴らしいと思いました。僕のギターの師匠である土屋昌巳氏と、僕の親友で、日本でベースをやっていたミック・カーン氏と遊んだりしました。ミックは数年前に亡くなったのですが。

TJ: X Japanとの出会いは?
SUGIZO: LUNA SEAがインディーズ・ロックで有名な目黒でライブをしていた頃、X Japanはすでに日本では大スターでしたが、僕たちが演奏していた小さなライブハウス「目黒鹿鳴館」でもライブをしていました。最初にHIDEさんと会ったのは1990年、僕は20歳くらいで目黒のパブだったと思います。X Japan の中ではHIDEさんと最初に知り合いました。音楽について語り合い、親しくなりました。

TJ: HIDEさんとは親しかったのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんが僕のことをYoshikiさんに紹介してくれました。HIDEさんは兄のような存在でした。後輩ミュージシャンのことをいつも気にかけてくれたんです。とても優しくて、かわいいところもありました。でも時には激しい一面を見せたり、やんちゃをすることもありました。どんな時も魅力的でした。

TJ: HIDEさんのことを思い出す時、どんなことを思われますか?
SUGIZO とても寂しいです。魅力的な人柄がとても恋しいです。もう一緒にはいられないんだと改めて感じます。 かつてはいつも一緒に飲みに行って笑ったり、一緒に演奏したりしていました。あの頃がとても恋しいです。亡くなる前の年に行き違いがあって、亡くなる直前は関係がこじれてしまっていました。そんな中でHIDEさんが亡くなってしまい、当時は素直になれませんでしたが、今は彼の素晴らしさを思い出します。とても良い思い出です。

TJ: なぜ当時うまくいっていなかったのですか?
SUGIZO: 原因は音楽的なことです。兄弟げんかのように、ささいなことがきっかけでした。

TJ: ミュージシャンとして、HIDEさんのことをどう思いますか?
SUGIZO: アイデア豊かな人でした。アーティストとしての創造性に優れていた。彼はただのうまいギタリストではありたくなかった。ギタリストであるだけでは満足できず、アーティスト、ギタリスト、ボーカリスト、プロデューサー、クリエイターとして、もっとスケールの大きなことをやりたかったんです。ミュージシャンとしてたくさんの顔を持つ彼から僕は大きな影響を受けました。HIDEさんは本当に、まれに見る才能に恵まれていました。

TJ: HIDEさんがLUNA SEAを発掘したということになるのでしょうか。HIDEさんがSUGIZOさんをYoshikiさんに紹介したんですよね?
SUGIZO: はい、そうです。

TJ: そしてYoshikiさんのエクスタシー・レコードがLUNA SEAのアルバムをプロデュースしたのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんは僕たちとエクスタシー・レコードの仲を取り持ったキューピッドです。

TJ: HIDEさんとYoshikiさんの関係は?
SUGIZO: 兄弟のようでした。親友だったと思います。HIDEさんが、Yoshikiさんのお母さんのように感じられる時もありました。Yoshikiさんのことを気遣い、心から大切に思っていました。いつも僕に、「僕はいつかYoshikiの本を書く。僕には書ける」と言っていました。HIDEさんはYoshikiさんのことをいつも見ていて、「Yoshikiのことを完璧に理解することはできないけど、興味が尽きない人間だよね。見ていて面白いよ」と言っていました。

TJ: どちらが年上ですか?
SUGIZO: HIDEさんの方がYoshikiさんより1歳上でした。

TJ: HIDEさんが亡くなられたことは本当にお辛かったでしょうね。
SUGIZO: はい。本当に辛かったです。兄を亡くしたようでした。

TJ: 音楽に何か影響はありましたか?
SUGIZO: どうでしょう。音楽が変わったかどうかはわかりませんが、僕の心はおそらく変わったと思います。HIDEさんの優しい、素敵な精神を受け継ぎたいと思っています。

TJ: メンバーの皆さんからSUGIZOさんは真面目で練習熱心だと伺いました。今日インタビューさせていただいたHEATHさんも、そうおっしゃっていましたよ。
SUGIZO: 僕から見れば、HEATHさんこそとても真面目なミュージシャンだと思います。ステージ裏でもいつもベースを弾いているし、四六時中練習しています。素晴らしいプレイヤーだと思います。

TJ: Yoshikiさんと一緒にお仕事していてよかったと思うことは?
SUGIZO: 何より、Yoshikiさんの音楽に触れられること。人間的にも素晴らしくて、兄のような存在です。

TJ: 年齢差は?
SUGIZO: 4歳違いです。Yoshikiさんは誕生日をXにしているので、秘密かもしれません(笑)。でも、皆知っていますよ。僕より4歳上です。

TJ: Yoshikiさんの一番ユニークなところは?
SUGIZO: すごくマイペースなことですね。

TJ: ご自身のドラムのビートと同じなんですね!
SUGIZO: そうですね(笑)。

TJ: Toshiさんについて何か教えてください。
SUGIZO: 僕と話す時、彼は非常にシリアスです。とても尊敬していますが、ミステリアスでもあります。すごく優しいんですが、ステージに立つと別人のようになります。歌声が素晴らしいですね。Toshiさんの歌声が本当に好きです。あんな人は他にはいません。

TJ: PATAさんについてはいかがですか?
SUGIZO: 僕はPATAさんが大好きです。仲が良くて、一緒に飲んだりします。X Japanのワールドツアーでは、Yoshikiさんはたくさんのスタッフや友人などを引き連れ、Toshiさんともども外に繰り出していましたが、PATAさんと僕は2人で飲んでました。ギタリストの性なのかもしれません。飲まなくては!と思うんです。僕から見ると、PATAさんは天性のロック・ギタリストです。彼のギターサウンドを尊敬してるし、スタイルも大好きです。

TJ: なぜX Japanはこれほど成功したのでしょうか?
SUGIZO: 音楽の力だと思います。X Japanにはすごくカリスマ性があります。90年代初めの音楽ファンが求めていたのは、X Japanが生み出す力強くて美しい音楽だったんです。

TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
SUGIZO: X Japanの好きなところはたくさんあります。今もHIDEさんとつながっていると強く感じるし、ステージに一緒にいるような気がすることもあります。ギターを弾く時、僕は一人じゃありません。何かスピリチュアルなものを強く感じます。一緒に演奏したいというHIDEさんの意志と思いを、時々、いえ、ステージではいつも感じます。僕は一人じゃないと思えることがとても嬉しいです。

TJ: X Japanでの一番の思い出は?
SUGIZO:ワールドツアーです。3年前に長期のワールドツアーをやりました。どこの国も、どこの会場も素晴らしかったです。世界中のファンの皆さんが大好きです。もう一度会いたいファンがたくさんいます。僕の一番の思い出は、ファンひとりひとりの顔や魂、声、涙、そういったもの全てです。

TJ: ご自身の考えを巧みに発信なさっていますね。
SUGIZO: 僕は世の中に対していろいろ意見を持っています。それはアーティストの使命だと思っています。例えば、今の日本の政治情勢は非常に厳しいですが、僕はどんなことにも僕なりの考えを持っています。友人やファンを大切に思うからこそ、皆と意見を共有したいと思っています。

TJ: 坂本龍一氏と共演しておられますが、坂本氏は積極的な社会活動や環境への関心、反原発の主張で知られていますね。
SUGIZO: はい。彼は僕の良き師です。13歳の頃から大ファンでした。実際にお会いしたのは1995年だったと思います。日本の音楽雑誌のインタビューでお会いしました。もちろん、僕は大ファンですと言いました。すると、喜んでくれました、いえ、そうだといいんですが。とにかくそれが最初の出会いでした。

TJ: 政治的に影響を受けましたか?
SUGIZO: 彼には僕を感化しようなんていう気は全くなかったんですが、僕は彼から多くを学んだと思います。僕に一番大きな影響を与えたのは娘ですね。娘が生まれて、全てが変わりました。政治や哲学について考えるようになりました。娘が生まれる前は、僕はまるで子供でした。社会に対して何の責任も感じておらず、全然気にもしていませんでした。でも、娘を持って初めて、次世代のために世の中をより良くするのは自分たちの責任なのだと気付きました。

TJ: 選挙戦出馬のご予定は?
SUGIZO: ありません。でも、良い政治家の方々は応援したいです。社会問題を無視しないことは、全てのアーティストにとっての責任です。

TJ: どのような問題に一番関心がありますか?
SUGIZO: 例えば、エネルギー問題や生態系に関する問題、もちろん日本の景気や戦争、原子力発電などにも関心があります。世界中の人が平和を望んでいると思います。戦争をしたがるのはごく一部の人たちで、それはお金のためです。原子力発電に関しても同じです。それによって利益を得る、ごく一部の権力者が支持しているのです。今、日中韓の関係は非常に複雑ですが、音楽ファンやアーティストはそんな状況を望んでいません。例えば、僕たちは中国のファンの皆さんが大好きで、中国や韓国の素敵なファンの皆さんもX Japanが好きです。それは素晴らしいことです。権力に固執する一部の保守的な政治家によって対立が生まれていることが残念です。でも、僕たちアーティストやミュージシャン、映画やエンターテインメント業界の人たちのほとんどは、ひたすら平和を望んでいるのです。

TJ: 今後の個人的なご予定は?
SUGIZO: 今は東京に住んでいてとても忙しくしています。生まれ育った神奈川の町が大好きで、1日休みを取って故郷で過ごすのがささやかな夢ですね。

TJ: よく運動されますか?
SUGIZO: はい。すごく大切ですね。プロのアスリートや武道家の方々のように、僕たちにとっても体調管理は非常に重要です。体調が万全でないと、ベストの演奏ができません。僕たちひとりひとり、ギターやベース、Yoshikiさんのドラム、またToshiさんの声にとっては特にそうです。Toshiさんの声は高くて、すごく魅力的です。でも喉に特別なケアをする必要があります。ワールドツアーの時は特に、彼の声や体調の管理は最優先事項です。湿度や気温など、あらゆる条件が変わるので、僕たち全員にとって、特にToshiさんにとっては大変です。

TJ: X JapanとLUNA SEAで演奏するのは何が違いますか?
SUGIZO: スタイルです。X Japanで演奏するには体を鍛える必要があります。

TJ:ミュージシャンになってなかったら、何をしていたと思いますか?
SUGIZO: 何でしょうね。難しい質問ですが、画家か詩人、もしくは武道家ではないでしょうか。子どもの頃、ボクシングが大好きでプロになりたいと思っていたし、ブルース・リー氏が生み出したジークンドーを15年間続けていたんです。最近は練習していませんが、武道は今も好きです。

TJ: 音楽のインスピレーションはどこから得ていますか?
SUGIZO: 僕の音楽は非常に精神的なものです。普通のロックとは違います。演奏する時、そこにいる人や、世界中の人と一体感を感じたいと思っています。うまく説明できませんが、スピリチュアルで、宇宙的な体験をしたいのです。あらゆるジャンルの音楽を取り入れて、スピリチュアルな音楽を作りたいです。

TJ: 他の楽器についてはいかがですか?トランペットは今も演奏されますか?
SUGIZO: したいのですが、一番大切なバイオリンとギターに集中しなくてはいけないので時間がないんです。

TJ: 海外ツアーは今後も行う予定ですか?
SUGIZO: ぜひやりたいです。X Japanは今年2回目のワールドツアーをしようと考えていますし、LUNA SEAや自分のソロ活動といった他の活動もあります。でも全ての活動において、海外でも演奏したいと思っています。僕にとっては大切なことなのです。

TJ: ミュージシャンであることに満足していますか?
SUGIZO: はい。基本的にはとても幸せです。楽ではないです。生活やスケジュールは大変ですが、音楽が大好きなので幸せですね。僕の使命です。

TJ: 一番大変なことは何ですか?
SUGIZO: ハードスケジュールをこなすことです。いつも忙しいんです。ゆっくりする時間が全然ありません。そうしたいんですが。今年はそんな時間ができたらいいですね。

 

 

Thursday, 25 June 2015 22:54

X Japan Rocks New York - Yoshiki

【メンバー個別インタビュー日本語版全文】 

 

X Japanの伝説的ドラマー・ピアニスト Yoshiki

X Japanとして、またソロで世界へ

 

TJ: YoshikiクラシカルコンサートとX Japanとして演奏するのは何が違いますか?
YOSHIKI: 僕にとっては同じです。どちらでも、自分が持っているものを出し切ります。X Japan では、演出が大規模で、僕にはドラマー、ピアニスト、プロデューサーという3つの顔があります。クラシカルで演奏している時は、自分自身をプロデュースして、よりアーティストであることに専念しています。クラシックは僕にとってはバランスをとるための趣味みたいなものなんです。僕にはソフトな面とアグレッシブな面の両方があって、どちらも好きです。それから、クラシカルコンサートでは、お客さんと近いのが良いですね。コンサート中に、お客さんと話したりできます。昔のことや、今の気持ちを話したり、どんな曲が聴きたいかを聞いたりもできます。家のリビングに一緒に座っているようなものです。でもX Japanのライブでは、僕にできることと言えば、「声聞こえねえんだよ!もっと叫べよ!」と叫ぶことくらいです。

TJ: 今回のように各国を回るとき、その街で訪れたいレストランや場所を選んだりしますか?
YOSHIKI: クラシカルツアーの間は、空いた時間は全て練習や準備、作曲をしていました。現地の空港や、ファン、コンサートホールを実際に目にすると気分は盛り上がりますが、全てをコンサートに注ぎ込むよう集中します。観光はほとんどしていないので、次はもっとできるといいですね。

TJ: クラシカルツアーの間、1か所の滞在期間は1、2日だったそうですね。リハーサルの時間はほとんどなかったのでは?
YOSHIKI: 丸1日滞在することもありましたが、数時間しかいなかったこともありました。状況次第です。東京ドームでX Japanのライブをした時は、広い楽屋があり、準備のための広いスペースがありました。でも、ワールドツアーでは荷物が衣装部屋に入りきらず、通路で着替えざるをえなかったこともあります。それでも最高のコンサートができたと思います。

TJ: メキシコの空港から出てこられる映像を拝見しました。通路はファンでいっぱいで車まで警察にエスコートされたりと、大ごとになっていたようですが、実際はいかがでしたか。
YOSHIKI: 嬉しかったです。最後にX Japanのライブでメキシコに行った時、たくさんのファンが空港に来てくれました。あまりに数が多くてすごいことになっていました。警察がメインロビーから出させてくれず、非常口から出たので、ファンの皆さんに会えませんでした。今回は皆さんがソーシャルメディアで静かにしているよう呼びかけてくれたのか、僕らが皆さんの前に姿を現すまで、すごく静かでした。X Japanとして行った時はファンの出迎えに応えられなかったので、嬉しかったですね。

TJ: X Japanの活動から離れる期間が長くなると、どんなことを一番物足りなく感じますか?
YOSHIKI: いろんなドラマですね。X Japanは良い意味でも悪い意味でも、たくさんのドラマがあります。クラシカルツアーはX Japanのツアーに比べるとすごくスムーズでした。大変なこともありましたが、X Japanと比べたら何でもありません。X Japanに起きるドラマは、普通とは違います。猛スピードの車に乗っているようなものです。危険どころでなく、全てが常にドラマなんです。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンでのライブで一番大変だったことは?
YOSHIKI: 3時間で全部終わらせなければいけなかったことです。延長料金は安くはないので。時間を計算して、ストップウォッチを見ていました。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンのライブでは、資材の運び込みに10台以上の大型トレイラーなどを使われたそうですね。
YOSHIKI:ドラム用特設ステージなどステージを丸ごと持ち込みましたから。

TJ: X Japanをまとめる上で一番難しいことは?
YOSHIKI
: メンバーはそれぞれ個性的ですが、皆優しいです。気難しい人たちではないので、そんなに大変じゃないです。世界一優しい人たちです。

TJ: それぞれのメンバーの性格について教えてください。
YOSHIKI: Toshiとは幼なじみで、4歳の時から知っています。とても頭が良いんです。いろんな問題もありましたが、僕が今まで出会った人の中でもトップクラスの頭の良さです。ボーカリストとしても素晴らしい。もともとギターを担当していましたが、ある時僕が歌ってみてと言ったら、すごく良い声だったので、ボーカルになりました。幼稚園で出会ったなんて、すごい偶然ですよね。僕たち2人でX Japanの元となるバンドを始めたんです。Toshiは心が温かくて、博識で、社交的だけど静かで(笑)…矛盾してますね。そして努力家です。

TJ: Toshiさんの一番好きなところは?
YOSHIKI: 頭が良いところです。音楽についてもよく知っていて、「この音はどう?じゃあこれは?」という風に、譜面の話ができます。ロックバンドでは珍しいことです。BフラットをAフラットに変えてとか、13thやCのコードを足してとか僕が言うと、彼はそのとおりにやってくれる。プロデューサーにとっては理想のボーカリストですね。

TJ: PATAさんについてはいかがですか?
YOSHIKI: PATAは、僕が知る中で一番クールなロック・ギタリストです。生活スタイルそのものがロックなんです。ギター以外のことはどうでもよくて、いつもお酒を飲んでいます。少し心配ではありますが、この世で一番優しい人だと思いますよ。ムードメーカーです。HIDEとTAIJIが生きていた頃、僕たちはいつもピリピリしていたのですが、PATAが潤滑剤になってくれました。

TJ: 人前ではあまり話されませんよね?
YOSHIKI: お酒を飲ませるといいですよ。もっとしゃべります(笑)。

TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
YOSHIKI: HEATHも静かです。彼も頭が良くて、自制心があり、自分のスタイルを持っています。ベースの腕も最高です。

TJ: SUGIZOさんについては?
YOSHIKI: SUGIZOもすごく頭が良くて、音楽の話ができます。クラシックの素養があるので、専門的な話もできるんです。「これがアレンジしたい新曲なんだけど、ボイシングを考えてくれる?」と言うと、譜面にしてくれます。一番新しいメンバーですが、正式加入からもう6、7年経つし、付き合いは20年以上です。もうずっと一緒に演奏している気がします。SUGIZOだけがHIDEの代わり、いえ、HIDEのパートを演奏することができます。僕たちは「代わり」とは絶対言わないようにしているんです。HIDEは今も僕たちと一緒なので。心の中にいるんです。SUGIZOは最高です。僕は、Toshi、PATA、HEATHそしてもちろんSUGIZOと出会えてラッキーだと思っています。SUGIZOなしではX Japanの復活はありませんでした。

TJ: SUGIZOさんがHIDEさんの後を継ぐのにふさわしい人だったんですね。
YOSHIKI: 2008年にX Japanを再結成した時、最初から僕は新メンバーはSUGIZOだと思っていました。当時、彼はサポートメンバーの一人でした。僕の友人のガンズ・アンド・ローゼズのリチャード・フォータスやリンプ・ビズキットのウェス・ボーランドなどもライブのサポートをしてくれていました。SUGIZOはメインのサポートメンバーで、僕はSUGIZOがバンドに入るだろうなと思っていました。何度かライブをした後、「バンドに入りなよ」と誘ったのですが、最初はうんと言ってくれず、「考えさせて」の繰り返しでした。SUGIZOにとってHIDEのポジションを継ぐことはあまりに重かったんです。彼はファンの気持ちをとても大事にするから。「ファンはどう思うだろう。HIDEさんは永遠にX Japanのギタリストだよね」と言う彼に、「そうだね。でもSUGIZOは6人目のメンバーになってくれたらいい」と僕は言ったんです。

TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
YOSHIKI: 難しいですね。僕の体はX Japanでできているような気がします。X Japanはただのバンドではなく、ライフスタイル、あるいはスピリットのようなものです。ただの音楽グループではないんです。よくファンとバンドの関係が話題になりますが、僕たちの場合、関係以上のものです。僕の心はX Japanでできています。

TJ:なぜX Japanはファンにとって特別なのでしょうか?なぜファンはまた戻ってくるのですか?
YOSHIKI: X Japanはファンと共に作られたと思っています。最初にXを始めた時、こんなに大きくなることや、こんな方向に向かうとは思っていませんでした。始まりは普通のバンドと同じでしたが、ファンの方たちが加わってくれて一緒にX Japanを作り上げました。だから僕たちは、「We are X」と言うんです。僕たちはまだ成長しています。Toshiと僕がX Japanを始め、全てを注ぎ込みました。「X Japanが失敗したら、他のことをしよう」とは考えませんでした。X Japanを特別にしているのは、僕たちのファンへの思いとファンの僕たちへの思いです。

TJ: スタン・リー氏と始められた新プロジェクト「ブラッド・レッド・ドラゴン」について教えてください。
YOSHIKI: 「ブラッド・レッド・ドラゴン」はアメリカのコミックです。今、新しいイメージを使って、インタラクティブなデジタルフォーマットを制作中です。スタン・リー氏と僕はたいてい意見が合うのですが、いろんなプロダクションの人が関わっているので、これまでに何度か方向転換がありました。ニューヨーク・コミック・コンやロサンゼルスのコミカゼで新しいイメージをいくつか公開しました。スタン・リー氏と一緒にお仕事させて頂けて光栄です。彼はとてもクールです。最近一緒にパネリストをしました。すごく頭が良くて、優しくて、スキがなくて、完璧なんです。驚くほど素敵な人です。伝説のアイコンですよ。彼と食事をしたり、彼のオフィスで話している時、「今、スタン・リーと話してるんだ!」と思うほど、一緒にいるだけで嬉しいです。だから、一緒に何かを作れるなんて、世界一ラッキーですよね。僕には世界中に素晴らしいファンがいるし、素敵な友人もいます。ファンと話している時、スタン・リー氏と話している時と同じ気持ちになります。出会えたことをすごくラッキーで、誇りに感じるんです。

TJ: SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)でご自身のホログラムと競演されていかがでしたか。
YOSHIKI: 面白かったんですが、自分と向かい合って演奏するというのは大変な作業でした。僕の演奏に合わせてホログラムがどう動くのか、秒単位で覚えておかなければいけなかったので。

TJ: Violet UKではケイティ・フィッツジェラルド氏の歌声がポップとクラシックのメロディーに美しく重なっていますが、Yoshikiさんが作詞されたのですか?
YOSHIKI: はい、そうです。

TJ: 新曲「HERO」について教えてください。
YOSHIKI: 僕は東映アニメーションの方たちとは長い付き合いなんです。それで、ぎりぎりになって作曲家の方が抜けたか何かで、締め切りまでほぼ時間がないけれど曲を作ってくれないかと頼まれたんです。でも、僕はクラシカルツアーの準備の最中で、頭の中はクラシックで一杯でした。だから、アクション・アニメだけど、クラシックなバラードでもいいかと聞くと、すごく良いアイデアだ、と言われたので、「わかりました。締め切りに間に合うか頑張ってみます」と言ったんです。一週間以内で終わり、ミュージックビデオ撮影までやりました。東映アニメーションの方たちと長い付き合いであるだけでなく、僕自身も聖闘士星矢の大ファンなので、寝ないで頑張りました。すごく面白いアニメなので、参加させて頂けて光栄です。

TJ: 他に好きなアニメは?
YOSHIKI:「NARUTO」や「BLEACH」、「ONE PIECE」や「DEATH NOTE」、「進撃の巨人」が好きです。

TJ: 今後映画のサウンドトラックにも挑戦してみたいですか?
YOSHIKI: はい。ぜひしてみたいです。

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンで撮影されていたドキュメンタリーについて教えてください。
YOSHIKI: X Japanに起きたいろいろなことについて聞かれて答えると、「信じられない」と言われます。事実にしては悲し過ぎるし、普通じゃないですからね。ご存知の通り、X Japanは全てがそんな感じです。それで、自分たちで映画を作ったらどうかと勧められたんです。皆びっくりすると思いますよ。昔に戻って全てを思い出すのは辛かったんですが、その価値はあったと思います。まだ制作中ですが、今年後半には何らかの形になるのではないかと思います。プロデューサーは、「シュガーマン 奇跡に愛された男」という映画を手がけられた方です。また、監督は、ザ・ローリング・ストーンズの映画を監督したスティーヴン・カイヤック氏です。最高の映画になると思います。ファンの皆に見てもらって、皆も僕たちの歴史の一部だということを感じてほしいです。皆が僕たちを世界に広めてくれました。「不可能はない」ので、これからもどんどん続けましょう。僕、いえ、僕たちが今あるのはファンの皆のおかげです。

 

 

 

Thursday, 25 June 2015 22:43

X Japan Rocks New York (Japanese)

2014年10月11日、X Japan は多くの日本人バンドにとっての長年の夢を達成した。レッド・ツェッペリンやザ・ローリング・ストーンズ、ザ・フー、

Tuesday, 26 May 2015 03:35

Shonen Knife

Shonen Knife

Pop Punk Trio Rock With 1,000+ Shows and 20 Albums Over 30 Years

The late Nirvana singer/guitarist Kurt Cobain was one of their biggest fans, saying, “When I finally got to see them live, I was transformed into a hysterical nine-year-old girl at a Beatles concert.” Formed in 1981, the Osaka-based all-female band Shonen Knife influenced ‘90s alternative acts like Sonic Youth and Redd Kross with driving beats, catchy melodies and simplistic lyrics about food and animals like “Banana Chips,” “I Am A Cat,” “Ramen Rock” and “Cannibal Papaya.” Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie carried out a backstage interview with singer/guitarist/founder Naoko Yamano, bassist Ritsuko Taneda and drummer Emi Morimoto prior to their October 2014 gig at the Bootleg Theater in Los Angeles.

Tuesday, 17 March 2015 20:47

FEMM Far East Mention Mannequins

FEMM

Far East Mention Mannequins

Latex-Clad Electronic Pop Duo are a Twerk of Art

The concept: Two mannequins, RiRi (a combat mannequin) and LuLa (a nurse mannequin), are controlled by human agents Honey-B and W-Trouble in a quest for world domination. They are heading a movement to support mannequins who’ve been mistreated by humans for years. The concept combines Japanese high fashion and otaku [nerd] culture. Fans earn points (called mentions) by spreading the word about FEMM through social networking on Twitter and Facebook and can use them toward getting items for mannequins that they control. Is this the concept behind Japan’s newest anime, manga or video game? No, this is the Avex pop duo FAR EAST MENTION MANNEQUINS (FEMM). Combine the producers behind global phenoms such as Lady Gaga, Miley Cyrus, Katy Perry and Beyoncé for a slick sound; HIDALI, the choreographer behind will.i.am and the robotic team WORLD ORDER’s dance moves for a polished performance; designer GM Atelier for outlandish latex costumes, and English songs with memorable titles like “Fxxk Boyz Get Money” and “Kill the DJ” and you have FEMM. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with Honey-B and W-Trouble.

Yoshiki Sakurai made his debut in the world of anime as a scriptwriter while studying economics at the University of Tokyo. After graduating, he joined Production I.G and wrote the screenplays for such titles as Evangelion: 1.0 You Are (Not) Alone, the Annecy-nominated feature film xxxHOLiC–A Midsummer Night’s Dream and Ghost in the Shell 2: Innocence, which was the sixth animated movie in history to compete at the Cannes Film Festival. Sakurai added producer to his credentials with the recent Giovanni’s Island, one of 20 features submitted for consideration in the Animated Feature Film category for the 87th Academy Awards. Tokyo Journal’s Executive Editor Anthony Al-Jamie met with Yoshiki Sakurai at Anime Expo 2014 in Los Angeles.

Tuesday, 17 March 2015 00:00

Keiji Inafune Stays Ahead of the Game

Keiji Inafune Stays Ahead of the Game

From CAPCOM to comcept

Keiji Inafune has been named one of the top 10 game creators in the world. The video game concept developer and designer had a stellar 23-year career at CAPCOM as head of the production, research & development and online development divisions. He oversaw over 900 employees and produced over 60 game titles including CAPCOM’s bestselling hits Mega Man, Street Fighter, Resident Evil, Dead Rising, Lost Planet and Onimusha. In 2010, he went on to found comcept Inc. and in 2013 the company successfully raised over $4 million in funding from 70,000 backers through Kickstarter for his newest project, the Mighty No. 9. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie met with Keiji Inafune at Anime Expo 2014 in Los Angeles to find out more about this innovator.

Tuesday, 17 March 2015 00:00

Los Angeles Mayor Eric Garcetti

Eric Garcetti became the 42nd mayor of the City of Los Angeles in 2013 after serving as city councilmember since 2001 and president of the city council from 2006 to 2012. Holding a B.A. in political science and urban planning and a Master of International Affairs from Columbia University, he also studied as a Rhodes Scholar at The Queen’s College, Oxford and at the London School of Economics. In November 2014, Mayor Garcetti led a 12-day trade mission to China, South Korea and Japan–L.A.’s number one, two and three trading partners, respectively. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie met with the mayor at Los Angeles City Hall to discuss the trip and his experience living, studying and working abroad.

Saturday, 14 March 2015 00:00

Living Legend - Noam Chomsky

Saving the World from Self-Destruction

Linguist, cognitive scientist, philosopher, logician and political commentator– all of these have been used to describe Noam Chomsky, one of the greatest minds in the world today. Born in 1928 in Philadelphia, Pennsylvania, Avram Noam Chomsky studied linguistics at the University of Pennsylvania where he earned his B.A., M.A. and Ph.D. He was later appointed as a professor of foreign languages and linguistics at the Massachusetts Institute of Technology (MIT). He became a pioneer in the field of psycholinguistics, helping to establish a relationship between linguistics and psychology. Today, he is one of the world’s most highly influential academic figures, being cited in the Arts & Humanities Citation Index more often than any other living scholar between 1980 and 1992, influencing such fields as mathematics, computer science, artificial intelligence, logic, cognitive science, music theory and analysis, political science, programming language theory and psychology. Outside of academia, Chomsky is internationally recognized as a political activist for his writing and speaking on U.S. foreign policy, capitalism and the mainstream news media. In 2005, he was named the most important public intellectual in the FP Top 100 Global Thinkers poll conducted by Foreign Policy magazine. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with Professor Noam Chomsky about his views on Japan and some of the greatest threats to the survival of the human race.

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