Between 1995 and 2010, as a member of Shiki Theatrical Company, Megumi Hamada played
2014 proved to be a busy year for 23-year-old actress and singer Mitsuki Takahata who starred as Helen Keller in the stage play The Miracle Worker and appeared in the TV drama Cheering Beat for Tomorrow, Gunshi Kanbei, the made-for-TV movie Tokyo Sentimental, the domestic film Jossy's and in the international film The Vancouver Asahi. The Vancouver Asahi, based on the legendary Japanese-Canadian baseball team, was featured at the Hawaii International Film Festival as well as the Vancouver International Film Festival where it scored the top audience award–the Rogers People’s Choice Award. Her past work includes the title role in a five-year run of the stage play Peter Pan and a two-year role in the TV drama Kinpachi Sensei, one of Japan’s most beloved TV dramas with a three-decade history. The singer has also released two albums and three singles. She shows no signs of slowing down by performing in the stage play Iyaounashini in January and February 2015 as well as the TV drama Restaurant with Something Wrong in January 2015. Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie spoke with Mitsuki about her recent projects.
TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
HEATH: 子どもの頃から音楽が好きで、家庭の中に常に音楽が鳴ってる状況だったんですね。というのは、僕の家には楽器がちょこちょこ転がってたり。やり始めたのは、小学生の四年生ぐらいの時かなぁ。出身は兵庫県です。
TJ: X Japan加入のきっかけは?
HEATH: 大阪の方で、バンドを組んでまして、で、僕が21歳の時に、東京に出てバンドをしようっていう決心をしたんですね。で、ちょうど僕の知り合いの方がHIDEさんとすごく交流のある方で、そこでHIDEさんを紹介してもらったんですね。僕は東京でバンドを作って違うバンドをやってたんですけど、ある時HIDEさんから電話がかかってきて。東京出て来て2年ぐらい経った時かな。「ちょっとスタジオ来て音出ししてみない?」っていう風にお誘いを受けたんで、Xの曲を5曲ぐらいコピーをして、スタジオに行ったんですね。で、その時は加入してくれとかそういう話は一切無くて、ただちょっと音を合わせたいからということで。で、スタジオに行ったらもうメンバーさんが全員いらっしゃって。5曲ぐらい演奏して、僕はすぐ帰ったんですけど、帰った後にまたすぐHIDEさんから連絡がありまして。「皆がちょっと気に入ったみたいだから、ちょっと話して」っていう風に。「Yoshikiととりあえず話してよ」ってHIDEさんから言われたんで、お話しに行きました。そこで初めて、ちょっとこれから海外も含めて色々活動していきたいんだけど、やってくれないかなということで、そこでyesって言いました。
TJ: X Japanの成功の秘密は何でしょうか?
HEATH: やっぱり応援してくださるファンの方たちの思いがすごく伝わってくるバンドなんですよ、X Japanって。それにこう、魂を揺さぶられてる感じもします。僕個人的には。それが原動力となって前に進んで行けるという。それが成功…というか、まだまだだとは思うんですけど。まだ海外の方にも出たばっかりなんで。
TJ: X Japanの成功の秘密は何でしょうか?
HEATH: やっぱり応援してくださるオーディエンスの方たちの思いがすごく伝わってくるバンドなんですよ、X Japanって。それにこう、魂を揺さぶられてる感じもします。僕個人的には。それが原動力となって前に進んで行けるという。それが成功…というか、まだまだだとは思うんですけど。まだ海外の方にも出たばっかりなんで。
TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
HEATH: そうですね、一番の楽しみはやっぱりすごく個性的なメンバーが揃ってるので、毎回音を出す度にすごい刺激があるんですね。興奮するというか。スタジオでリハーサル中でも、各個人のパートの楽器が鳴り出すとすごく興奮する。
TJ: 一番難しいことは?
HEATH: 一番難しいのはスケジュールの調整ですね。
TJ: ご自身の性格について教えてください。静かな方ですか?それともよく話す方ですか?
HEATH: 普段は静かな人ですね。お酒を飲むとよくしゃべるんですけど。
TJ: HIDEさんとのご関係は?
HEATH: HIDEさんは僕より3つ歳が上なので、やっぱりすごくお兄さん的な存在で。いつも心配して見てくれてるような、心の優しい人ですね。
TJ: Toshiさんについて教えてください。
HEATH: うーん、Toshiさんも年上なので、よく声掛けてくれたりしますね。もう皆優しいです。見た目とは違って(笑)。
TJ: Yoshikiさんの一番良いところは?
HEATH: そうだなぁ、一番となるとちょっと難しいのですが、やっぱり尊敬できるアーティストであり、プレイヤーです。Yoshikiさんの叩くドラムの音がすごく好きなんですね。ライブでカウントが鳴った瞬間に全身が包まれるような感じ。それがこう、音となって会場に響き渡る感じがすごく気持ちよくて。そういうのを出せるプレイヤー、アーティストの方は少ないと思うので、すごく尊敬できる。
TJ: PATAさんについてはいかがですか?
HEATH: PATAさんも優しいです。PATAさんも同じくギターサウンドがすごく個性的で。ライブの時は隣がPATAさんだから、僕が一番近くで演奏することになるんですけど、あのレスポールとマーシャルアンプから出されるギターサウンドがすごく気持ちよくてね。あれはまたPATAさんにしか出せない音なんだなぁと思います。
TJ: X Japanが解散した後、PATAさんとは同じバンドで活動されていましたよね?
HEATH: はい、Dope HEADzです。
TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
HEATH: SUGIZO君はそうだな、すごく真面目で、寡黙で。何て言うのかな、すごく真面目な人です。
TJ: 音楽に対して?それとも全般的に?
HEATH: そうですね、真面目な人ってこういう人のことを言うんだなって思うくらいすごく真面目ですね。リハーサルですごく熱心に音作りとか皆より早く入ってやってたり。すごく寡黙っていうのかな。
TJ: プロのミュージシャンとして一番難しいことは?
HEATH: 難しいところ…そうだなぁ、メンタルを保つところですかね。
TJ: 一番楽しいことは?
HEATH: やっぱりライブ。ライブって楽しいなっていうのと、あと音楽やってると、たくさんの出会いもあるし。X Japanで海外のツアーとかもやらせてもらったりして、音楽を通じてまたたくさんの人と出会えて、またどんどん前進していけるっていう喜びがあります。そこが好きですね。
TJ: 横浜アリーナとマディソン・スクエア・ガーデンで演奏されましたが、大きな違いは何でしたか?
HEATH: そうだなぁ、あまり違いは感じなかったんですけど、セットリストも同じだったのかな?確か。なんだけど、回数を重ねるとやっぱりこう、仕上がって来るというか。横浜アリーナのステージも素晴らしかったんですけど、マディソン・スクエア・ガーデンはさらに何て言うかな、固まってたと思います。えっと、良いものになってたと思います。
TJ: 海外に住まれたことは?
HEATH: ロスに少し。Xに加入してすぐぐらいにロスに行きましたね。何年くらいいたかな?3年ぐらいいましたかね。
TJ: 外国に住むとしたらどこに住みたいですか?
HEATH: 一度ニューヨーク行ってみたいです。
TJ: 英語は勉強されていますか?
HEATH: はい。少しずつ。
TJ: 夢は何ですか?
HEATH: そうですね、ロックを通して国境を越えるっていうのが1つのハードルだったんですけど、今回X Japanが復活して、1つの大きなハードルを越えてマディソン・スクエア・ガーデンとかの海外ツアーもできたので、さらにたくさんの海外の人たちにもX Japanのいいところを知ってもらえるように頑張って行きたいです。それが夢ですね、次の。夢は実現していかないとっていう。
TJ: 音楽を始めたきっかけについて教えてください。
PATA: 中学生の時、妹がアコースティック・ギターを持ってたんですよ。それでテレビとかでチープ・トリックとかを見てちょっとギター弾いてみたいなーと思って。それで触ったのが初めてかな。
TJ: 譜面を読む勉強をされましたか?
PATA: はい。楽譜や本を見てよく練習しました。
TJ: 譜面を読むのは得意ですか?
PATA: いや(笑)。
TJ: 初めてバンドに参加したのはいつですか?
PATA: 16歳の時、高校の友達と一緒に始めたのかな?Head Rockか、Black Roseっていう名前のバンドだったかな。ちょっと忘れちゃった。ギターでした。アイアン・メイデン、ラウドネス、ジューダス・プリーストのカバーを2年ほどやってました。その後、オリジナルの曲をやるバンドをやったかな。そこでドラマーが抜けてしまって、でYoshikiに会うわけです。それが1985年。19か20歳の頃でした。YoshikiとToshiはXをやっていて、でもXはメンバーがToshiしかいなかった。Yoshikiは3週間くらいうちのサポートをしてくれていて、それで知ってました。で、Xがギタリストが抜けてしまってメンバーを探していたと。ある年のお正月ぐらいにYoshikiから電話がかかってきて、ギターを弾いてくれって言われたんですよ。そこからなんか知らないけどずるずるといますね。それが始まり。
TJ: X Japanのどんなところが特別ですか?
PATA: メンバーだからわからない。だってね、中にいるからわかんないよ。
TJ: ToshiさんとYoshikiさんについて教えてください。
PATA: Toshiは歌うまいよね。Yoshikiは、何だろう、あのドラムには持ってかれます。そこに尽きるんじゃないかな、もう。エネルギーの塊みたいな奴だから。最初に昔やってたバンドに入ってくれって言ったことがあるんですよ。だけど、逆にXに入ることになっちゃった、みたいな。
TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
PATA: HEATHは途中から入って、頑張ってくれてるよね。とても寡黙と言えば寡黙。割とおとなしいかな。あまりしゃべらない方だけど、フレンドリーな人ですよ。
TJ: Yoshikiさんから、PATAさんはお酒を飲むとよくしゃべると伺ったのですが。
PATA: その通り。今度はぜひお酒を飲みながら。その方が楽だ。
TJ: SUGIZOさんについて教えてください。
PATA: SUGIZOはLUNA SEAやってる頃から知ってる。一緒にギターを弾いたのはXで初めてかな。バンドで一番気を使ってくれる人かな。
TJ: SUGIZOさんとPATAさんはよくライブの後一緒に飲みに行かれるそうですね。SUGIZOさんがお二人は昔ながらのロッカーで、ライブの後には飲みに行かないと気が済まないとおっしゃっていましたが。
PATA: うん、セットだからね。ライブとお酒。
TJ: デリケートな質問ですが、亡くなられたHIDEさんとTAIJIさんとの良い思い出について教えてください。
PATA: 一番良いのはやっぱり一緒にステージに立ってられたことかな?まぁあとは一緒に飲んでたぐらいかなぁ。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
PATA: まぁ楽しかったなっていうのが一番なんですけど、うーん、なんだろう。ステージに立てて良かったなーと思うかな。マディソン・スクエア・ガーデンの。特別な思い入れはありました。レッド・ツェッペリンの「The Song Remains the Same」で育った人ですんで、一緒かと思えば、ちょっと嬉しかったの。
TJ: 横浜アリーナで再びライブをしていかがでしたか?
PATA: あぁ、久しぶりだったしね。とりあえずどこでも楽しいかな。おっきくてもちっちゃくても、どこでもとりあえずステージの上は楽しいや。
TJ: 海外に住まれたことは?
PATA: ロサンゼルスでアパートを借りたことがあります。3〜5年くらい。
TJ: 将来海外に住む予定は?
PATA: 明日の飯の予定も立ってねぇからな・・・わかんねえっす。
TJ: 夢は何ですか?
PATA: 死ぬまでギター弾いてられたらいいかなぁ。そんなもんでいいんじゃないっすか(笑)。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンが終わって、これからライブをしたいところはありますか?
PATA: うーん、どこにしよっかな・・・ヤンキース・スタジアム(笑)
TJ: 若いミュージシャンに向けて何かアドバイスはありますか?
PATA: やってりゃ楽しいことあるんじゃない?ってか、keep on rockin’ってことじゃないですかね。
TJ: ありがとうございました。PATAさんはクラシックなロッカーですね。
PATA: 俺をクラシックにしないでくれ(笑)。まだ生きてるよ(笑)。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
SUGIZO: 最高でした。名誉ある場所で、ベストを尽くしました。世界各地から来たファンの皆からの熱い思いを感じました。ライブの間中、結束感がありました。僕にとってはそれが一番大切で、すごく嬉しかったです。僕のギタープレイはベストではありませんでしたが、あの情熱は最高でした。X Japanのファンの皆が本当に大好きです。素敵な人たちです。
TJ: なぜギタープレイはベストではなかったと感じられたのですか?
SUGIZO: わかりません。いつももっと良くなるだろうと思っていますし、ミュージシャンとして成長して、もっと良くしたいと思っています。
TJ: 9月の横浜でのライブと10月のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブはどう違いましたか?
SUGIZO: スタッフはほとんど一緒でしたが、ステージが違いました。マディソン・スクエア・ガーデンのステージは本当に小さいんです。東京ドームや横浜アリーナの方がずっと大きいです。そこが大きなチャレンジでした。でも、第一印象は「マディソン・スクエア・ガーデンってそんなに大きくないんだ。オッケー、オッケー。わかった」という感じで、リラックスすることができました。
TJ: ファンの皆さんはどうでしたか?
SUGIZO: 最高でしたよ、もちろん。いろんな人種の人が来てくれていて、素晴らしい光景でした。彼らの気持ちや情熱が、本当に素晴らしかったです。いつでもまた皆のために演奏したいです。
TJ: ギターもバイオリンも素晴らしい演奏ですね。バイオリンはどこで習得されたのですか?
SUGIZO: 両親がオーケストラの団員で、音楽教育にすごく熱心だったんです。バイオリンを始めた時はまだ3歳だったので、初めて弾いた時のことは覚えていませんが、両親の思い入れが強すぎて負担でした。小さい頃はバイオリンを弾くのが嫌いだったし、音楽も嫌いでした。
TJ: ご両親はお二人とも東京都交響楽団の団員だったのですよね。
SUGIZO: はい。それで子どもの頃、強制的にバイオリンを習わされました。子供の気持ちなんて考えてなかったのだと思います。ただプロの音楽家になってほしかったんです。
TJ: 英語はどうやって勉強されましたか?
SUGIZO: 英語は得意ではないんです。娘に毎日笑われています。この子が娘の瑠奈です。カリフォルニアに住んでいます。
TJ: 初めまして。アメリカには長く住んでおられるのですか?
LUNA: はい。ずっとこっちに住んでいます。
TJ: 娘さんには幼い頃から音楽を教えられましたか?
SUGIZO: いえ。本人がやりたいのなら、もちろん何でも喜んで教えてやろうと思います。今は歌をやりたいようです。歌とダンスが好きみたいです。聞いてみてはいるのですが、どうなんでしょうね。今は18歳で、難しい年頃です。娘が望むなら心から応援しますが、本人次第ですね。
TJ: アメリカに住んだことは?
SUGIZO: ありません。ロンドンには、初のソロプロジェクトのレコーディングで1年ほど住んだことがあります。ロンドンにはたくさん友人がいたし、現地の文化やミュージック・シーンなど、丸ごと楽しみました。ドラムとベースの層が厚いんです。イギリスのテクノやヒップホップは素晴らしいと思いました。僕のギターの師匠である土屋昌巳氏と、僕の親友で、日本でベースをやっていたミック・カーン氏と遊んだりしました。ミックは数年前に亡くなったのですが。
TJ: X Japanとの出会いは?
SUGIZO: LUNA SEAがインディーズ・ロックで有名な目黒でライブをしていた頃、X Japanはすでに日本では大スターでしたが、僕たちが演奏していた小さなライブハウス「目黒鹿鳴館」でもライブをしていました。最初にHIDEさんと会ったのは1990年、僕は20歳くらいで目黒のパブだったと思います。X Japan の中ではHIDEさんと最初に知り合いました。音楽について語り合い、親しくなりました。
TJ: HIDEさんとは親しかったのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんが僕のことをYoshikiさんに紹介してくれました。HIDEさんは兄のような存在でした。後輩ミュージシャンのことをいつも気にかけてくれたんです。とても優しくて、かわいいところもありました。でも時には激しい一面を見せたり、やんちゃをすることもありました。どんな時も魅力的でした。
TJ: HIDEさんのことを思い出す時、どんなことを思われますか?
SUGIZO とても寂しいです。魅力的な人柄がとても恋しいです。もう一緒にはいられないんだと改めて感じます。 かつてはいつも一緒に飲みに行って笑ったり、一緒に演奏したりしていました。あの頃がとても恋しいです。亡くなる前の年に行き違いがあって、亡くなる直前は関係がこじれてしまっていました。そんな中でHIDEさんが亡くなってしまい、当時は素直になれませんでしたが、今は彼の素晴らしさを思い出します。とても良い思い出です。
TJ: なぜ当時うまくいっていなかったのですか?
SUGIZO: 原因は音楽的なことです。兄弟げんかのように、ささいなことがきっかけでした。
TJ: ミュージシャンとして、HIDEさんのことをどう思いますか?
SUGIZO: アイデア豊かな人でした。アーティストとしての創造性に優れていた。彼はただのうまいギタリストではありたくなかった。ギタリストであるだけでは満足できず、アーティスト、ギタリスト、ボーカリスト、プロデューサー、クリエイターとして、もっとスケールの大きなことをやりたかったんです。ミュージシャンとしてたくさんの顔を持つ彼から僕は大きな影響を受けました。HIDEさんは本当に、まれに見る才能に恵まれていました。
TJ: HIDEさんがLUNA SEAを発掘したということになるのでしょうか。HIDEさんがSUGIZOさんをYoshikiさんに紹介したんですよね?
SUGIZO: はい、そうです。
TJ: そしてYoshikiさんのエクスタシー・レコードがLUNA SEAのアルバムをプロデュースしたのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんは僕たちとエクスタシー・レコードの仲を取り持ったキューピッドです。
TJ: HIDEさんとYoshikiさんの関係は?
SUGIZO: 兄弟のようでした。親友だったと思います。HIDEさんが、Yoshikiさんのお母さんのように感じられる時もありました。Yoshikiさんのことを気遣い、心から大切に思っていました。いつも僕に、「僕はいつかYoshikiの本を書く。僕には書ける」と言っていました。HIDEさんはYoshikiさんのことをいつも見ていて、「Yoshikiのことを完璧に理解することはできないけど、興味が尽きない人間だよね。見ていて面白いよ」と言っていました。
TJ: どちらが年上ですか?
SUGIZO: HIDEさんの方がYoshikiさんより1歳上でした。
TJ: HIDEさんが亡くなられたことは本当にお辛かったでしょうね。
SUGIZO: はい。本当に辛かったです。兄を亡くしたようでした。
TJ: 音楽に何か影響はありましたか?
SUGIZO: どうでしょう。音楽が変わったかどうかはわかりませんが、僕の心はおそらく変わったと思います。HIDEさんの優しい、素敵な精神を受け継ぎたいと思っています。
TJ: メンバーの皆さんからSUGIZOさんは真面目で練習熱心だと伺いました。今日インタビューさせていただいたHEATHさんも、そうおっしゃっていましたよ。
SUGIZO: 僕から見れば、HEATHさんこそとても真面目なミュージシャンだと思います。ステージ裏でもいつもベースを弾いているし、四六時中練習しています。素晴らしいプレイヤーだと思います。
TJ: Yoshikiさんと一緒にお仕事していてよかったと思うことは?
SUGIZO: 何より、Yoshikiさんの音楽に触れられること。人間的にも素晴らしくて、兄のような存在です。
TJ: 年齢差は?
SUGIZO: 4歳違いです。Yoshikiさんは誕生日をXにしているので、秘密かもしれません(笑)。でも、皆知っていますよ。僕より4歳上です。
TJ: Yoshikiさんの一番ユニークなところは?
SUGIZO: すごくマイペースなことですね。
TJ: ご自身のドラムのビートと同じなんですね!
SUGIZO: そうですね(笑)。
TJ: Toshiさんについて何か教えてください。
SUGIZO: 僕と話す時、彼は非常にシリアスです。とても尊敬していますが、ミステリアスでもあります。すごく優しいんですが、ステージに立つと別人のようになります。歌声が素晴らしいですね。Toshiさんの歌声が本当に好きです。あんな人は他にはいません。
TJ: PATAさんについてはいかがですか?
SUGIZO: 僕はPATAさんが大好きです。仲が良くて、一緒に飲んだりします。X Japanのワールドツアーでは、Yoshikiさんはたくさんのスタッフや友人などを引き連れ、Toshiさんともども外に繰り出していましたが、PATAさんと僕は2人で飲んでました。ギタリストの性なのかもしれません。飲まなくては!と思うんです。僕から見ると、PATAさんは天性のロック・ギタリストです。彼のギターサウンドを尊敬してるし、スタイルも大好きです。
TJ: なぜX Japanはこれほど成功したのでしょうか?
SUGIZO: 音楽の力だと思います。X Japanにはすごくカリスマ性があります。90年代初めの音楽ファンが求めていたのは、X Japanが生み出す力強くて美しい音楽だったんです。
TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
SUGIZO: X Japanの好きなところはたくさんあります。今もHIDEさんとつながっていると強く感じるし、ステージに一緒にいるような気がすることもあります。ギターを弾く時、僕は一人じゃありません。何かスピリチュアルなものを強く感じます。一緒に演奏したいというHIDEさんの意志と思いを、時々、いえ、ステージではいつも感じます。僕は一人じゃないと思えることがとても嬉しいです。
TJ: X Japanでの一番の思い出は?
SUGIZO:ワールドツアーです。3年前に長期のワールドツアーをやりました。どこの国も、どこの会場も素晴らしかったです。世界中のファンの皆さんが大好きです。もう一度会いたいファンがたくさんいます。僕の一番の思い出は、ファンひとりひとりの顔や魂、声、涙、そういったもの全てです。
TJ: ご自身の考えを巧みに発信なさっていますね。
SUGIZO: 僕は世の中に対していろいろ意見を持っています。それはアーティストの使命だと思っています。例えば、今の日本の政治情勢は非常に厳しいですが、僕はどんなことにも僕なりの考えを持っています。友人やファンを大切に思うからこそ、皆と意見を共有したいと思っています。
TJ: 坂本龍一氏と共演しておられますが、坂本氏は積極的な社会活動や環境への関心、反原発の主張で知られていますね。
SUGIZO: はい。彼は僕の良き師です。13歳の頃から大ファンでした。実際にお会いしたのは1995年だったと思います。日本の音楽雑誌のインタビューでお会いしました。もちろん、僕は大ファンですと言いました。すると、喜んでくれました、いえ、そうだといいんですが。とにかくそれが最初の出会いでした。
TJ: 政治的に影響を受けましたか?
SUGIZO: 彼には僕を感化しようなんていう気は全くなかったんですが、僕は彼から多くを学んだと思います。僕に一番大きな影響を与えたのは娘ですね。娘が生まれて、全てが変わりました。政治や哲学について考えるようになりました。娘が生まれる前は、僕はまるで子供でした。社会に対して何の責任も感じておらず、全然気にもしていませんでした。でも、娘を持って初めて、次世代のために世の中をより良くするのは自分たちの責任なのだと気付きました。
TJ: 選挙戦出馬のご予定は?
SUGIZO: ありません。でも、良い政治家の方々は応援したいです。社会問題を無視しないことは、全てのアーティストにとっての責任です。
TJ: どのような問題に一番関心がありますか?
SUGIZO: 例えば、エネルギー問題や生態系に関する問題、もちろん日本の景気や戦争、原子力発電などにも関心があります。世界中の人が平和を望んでいると思います。戦争をしたがるのはごく一部の人たちで、それはお金のためです。原子力発電に関しても同じです。それによって利益を得る、ごく一部の権力者が支持しているのです。今、日中韓の関係は非常に複雑ですが、音楽ファンやアーティストはそんな状況を望んでいません。例えば、僕たちは中国のファンの皆さんが大好きで、中国や韓国の素敵なファンの皆さんもX Japanが好きです。それは素晴らしいことです。権力に固執する一部の保守的な政治家によって対立が生まれていることが残念です。でも、僕たちアーティストやミュージシャン、映画やエンターテインメント業界の人たちのほとんどは、ひたすら平和を望んでいるのです。
TJ: 今後の個人的なご予定は?
SUGIZO: 今は東京に住んでいてとても忙しくしています。生まれ育った神奈川の町が大好きで、1日休みを取って故郷で過ごすのがささやかな夢ですね。
TJ: よく運動されますか?
SUGIZO: はい。すごく大切ですね。プロのアスリートや武道家の方々のように、僕たちにとっても体調管理は非常に重要です。体調が万全でないと、ベストの演奏ができません。僕たちひとりひとり、ギターやベース、Yoshikiさんのドラム、またToshiさんの声にとっては特にそうです。Toshiさんの声は高くて、すごく魅力的です。でも喉に特別なケアをする必要があります。ワールドツアーの時は特に、彼の声や体調の管理は最優先事項です。湿度や気温など、あらゆる条件が変わるので、僕たち全員にとって、特にToshiさんにとっては大変です。
TJ: X JapanとLUNA SEAで演奏するのは何が違いますか?
SUGIZO: スタイルです。X Japanで演奏するには体を鍛える必要があります。
TJ:ミュージシャンになってなかったら、何をしていたと思いますか?
SUGIZO: 何でしょうね。難しい質問ですが、画家か詩人、もしくは武道家ではないでしょうか。子どもの頃、ボクシングが大好きでプロになりたいと思っていたし、ブルース・リー氏が生み出したジークンドーを15年間続けていたんです。最近は練習していませんが、武道は今も好きです。
TJ: 音楽のインスピレーションはどこから得ていますか?
SUGIZO: 僕の音楽は非常に精神的なものです。普通のロックとは違います。演奏する時、そこにいる人や、世界中の人と一体感を感じたいと思っています。うまく説明できませんが、スピリチュアルで、宇宙的な体験をしたいのです。あらゆるジャンルの音楽を取り入れて、スピリチュアルな音楽を作りたいです。
TJ: 他の楽器についてはいかがですか?トランペットは今も演奏されますか?
SUGIZO: したいのですが、一番大切なバイオリンとギターに集中しなくてはいけないので時間がないんです。
TJ: 海外ツアーは今後も行う予定ですか?
SUGIZO: ぜひやりたいです。X Japanは今年2回目のワールドツアーをしようと考えていますし、LUNA SEAや自分のソロ活動といった他の活動もあります。でも全ての活動において、海外でも演奏したいと思っています。僕にとっては大切なことなのです。
TJ: ミュージシャンであることに満足していますか?
SUGIZO: はい。基本的にはとても幸せです。楽ではないです。生活やスケジュールは大変ですが、音楽が大好きなので幸せですね。僕の使命です。
TJ: 一番大変なことは何ですか?
SUGIZO: ハードスケジュールをこなすことです。いつも忙しいんです。ゆっくりする時間が全然ありません。そうしたいんですが。今年はそんな時間ができたらいいですね。
TJ: YoshikiクラシカルコンサートとX Japanとして演奏するのは何が違いますか?
YOSHIKI: 僕にとっては同じです。どちらでも、自分が持っているものを出し切ります。X Japan では、演出が大規模で、僕にはドラマー、ピアニスト、プロデューサーという3つの顔があります。クラシカルで演奏している時は、自分自身をプロデュースして、よりアーティストであることに専念しています。クラシックは僕にとってはバランスをとるための趣味みたいなものなんです。僕にはソフトな面とアグレッシブな面の両方があって、どちらも好きです。それから、クラシカルコンサートでは、お客さんと近いのが良いですね。コンサート中に、お客さんと話したりできます。昔のことや、今の気持ちを話したり、どんな曲が聴きたいかを聞いたりもできます。家のリビングに一緒に座っているようなものです。でもX Japanのライブでは、僕にできることと言えば、「声聞こえねえんだよ!もっと叫べよ!」と叫ぶことくらいです。
TJ: 今回のように各国を回るとき、その街で訪れたいレストランや場所を選んだりしますか?
YOSHIKI: クラシカルツアーの間は、空いた時間は全て練習や準備、作曲をしていました。現地の空港や、ファン、コンサートホールを実際に目にすると気分は盛り上がりますが、全てをコンサートに注ぎ込むよう集中します。観光はほとんどしていないので、次はもっとできるといいですね。
TJ: クラシカルツアーの間、1か所の滞在期間は1、2日だったそうですね。リハーサルの時間はほとんどなかったのでは?
YOSHIKI: 丸1日滞在することもありましたが、数時間しかいなかったこともありました。状況次第です。東京ドームでX Japanのライブをした時は、広い楽屋があり、準備のための広いスペースがありました。でも、ワールドツアーでは荷物が衣装部屋に入りきらず、通路で着替えざるをえなかったこともあります。それでも最高のコンサートができたと思います。
TJ: メキシコの空港から出てこられる映像を拝見しました。通路はファンでいっぱいで車まで警察にエスコートされたりと、大ごとになっていたようですが、実際はいかがでしたか。
YOSHIKI: 嬉しかったです。最後にX Japanのライブでメキシコに行った時、たくさんのファンが空港に来てくれました。あまりに数が多くてすごいことになっていました。警察がメインロビーから出させてくれず、非常口から出たので、ファンの皆さんに会えませんでした。今回は皆さんがソーシャルメディアで静かにしているよう呼びかけてくれたのか、僕らが皆さんの前に姿を現すまで、すごく静かでした。X Japanとして行った時はファンの出迎えに応えられなかったので、嬉しかったですね。
TJ: X Japanの活動から離れる期間が長くなると、どんなことを一番物足りなく感じますか?
YOSHIKI: いろんなドラマですね。X Japanは良い意味でも悪い意味でも、たくさんのドラマがあります。クラシカルツアーはX Japanのツアーに比べるとすごくスムーズでした。大変なこともありましたが、X Japanと比べたら何でもありません。X Japanに起きるドラマは、普通とは違います。猛スピードの車に乗っているようなものです。危険どころでなく、全てが常にドラマなんです。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンでのライブで一番大変だったことは?
YOSHIKI: 3時間で全部終わらせなければいけなかったことです。延長料金は安くはないので。時間を計算して、ストップウォッチを見ていました。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンのライブでは、資材の運び込みに10台以上の大型トレイラーなどを使われたそうですね。
YOSHIKI:ドラム用特設ステージなどステージを丸ごと持ち込みましたから。
TJ: X Japanをまとめる上で一番難しいことは?
YOSHIKI: メンバーはそれぞれ個性的ですが、皆優しいです。気難しい人たちではないので、そんなに大変じゃないです。世界一優しい人たちです。
TJ: それぞれのメンバーの性格について教えてください。
YOSHIKI: Toshiとは幼なじみで、4歳の時から知っています。とても頭が良いんです。いろんな問題もありましたが、僕が今まで出会った人の中でもトップクラスの頭の良さです。ボーカリストとしても素晴らしい。もともとギターを担当していましたが、ある時僕が歌ってみてと言ったら、すごく良い声だったので、ボーカルになりました。幼稚園で出会ったなんて、すごい偶然ですよね。僕たち2人でX Japanの元となるバンドを始めたんです。Toshiは心が温かくて、博識で、社交的だけど静かで(笑)…矛盾してますね。そして努力家です。
TJ: Toshiさんの一番好きなところは?
YOSHIKI: 頭が良いところです。音楽についてもよく知っていて、「この音はどう?じゃあこれは?」という風に、譜面の話ができます。ロックバンドでは珍しいことです。BフラットをAフラットに変えてとか、13thやCのコードを足してとか僕が言うと、彼はそのとおりにやってくれる。プロデューサーにとっては理想のボーカリストですね。
TJ: PATAさんについてはいかがですか?
YOSHIKI: PATAは、僕が知る中で一番クールなロック・ギタリストです。生活スタイルそのものがロックなんです。ギター以外のことはどうでもよくて、いつもお酒を飲んでいます。少し心配ではありますが、この世で一番優しい人だと思いますよ。ムードメーカーです。HIDEとTAIJIが生きていた頃、僕たちはいつもピリピリしていたのですが、PATAが潤滑剤になってくれました。
TJ: 人前ではあまり話されませんよね?
YOSHIKI: お酒を飲ませるといいですよ。もっとしゃべります(笑)。
TJ: HEATHさんについてはいかがですか?
YOSHIKI: HEATHも静かです。彼も頭が良くて、自制心があり、自分のスタイルを持っています。ベースの腕も最高です。
TJ: SUGIZOさんについては?
YOSHIKI: SUGIZOもすごく頭が良くて、音楽の話ができます。クラシックの素養があるので、専門的な話もできるんです。「これがアレンジしたい新曲なんだけど、ボイシングを考えてくれる?」と言うと、譜面にしてくれます。一番新しいメンバーですが、正式加入からもう6、7年経つし、付き合いは20年以上です。もうずっと一緒に演奏している気がします。SUGIZOだけがHIDEの代わり、いえ、HIDEのパートを演奏することができます。僕たちは「代わり」とは絶対言わないようにしているんです。HIDEは今も僕たちと一緒なので。心の中にいるんです。SUGIZOは最高です。僕は、Toshi、PATA、HEATHそしてもちろんSUGIZOと出会えてラッキーだと思っています。SUGIZOなしではX Japanの復活はありませんでした。
TJ: SUGIZOさんがHIDEさんの後を継ぐのにふさわしい人だったんですね。
YOSHIKI: 2008年にX Japanを再結成した時、最初から僕は新メンバーはSUGIZOだと思っていました。当時、彼はサポートメンバーの一人でした。僕の友人のガンズ・アンド・ローゼズのリチャード・フォータスやリンプ・ビズキットのウェス・ボーランドなどもライブのサポートをしてくれていました。SUGIZOはメインのサポートメンバーで、僕はSUGIZOがバンドに入るだろうなと思っていました。何度かライブをした後、「バンドに入りなよ」と誘ったのですが、最初はうんと言ってくれず、「考えさせて」の繰り返しでした。SUGIZOにとってHIDEのポジションを継ぐことはあまりに重かったんです。彼はファンの気持ちをとても大事にするから。「ファンはどう思うだろう。HIDEさんは永遠にX Japanのギタリストだよね」と言う彼に、「そうだね。でもSUGIZOは6人目のメンバーになってくれたらいい」と僕は言ったんです。
TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
YOSHIKI: 難しいですね。僕の体はX Japanでできているような気がします。X Japanはただのバンドではなく、ライフスタイル、あるいはスピリットのようなものです。ただの音楽グループではないんです。よくファンとバンドの関係が話題になりますが、僕たちの場合、関係以上のものです。僕の心はX Japanでできています。
TJ:なぜX Japanはファンにとって特別なのでしょうか?なぜファンはまた戻ってくるのですか?
YOSHIKI: X Japanはファンと共に作られたと思っています。最初にXを始めた時、こんなに大きくなることや、こんな方向に向かうとは思っていませんでした。始まりは普通のバンドと同じでしたが、ファンの方たちが加わってくれて一緒にX Japanを作り上げました。だから僕たちは、「We are X」と言うんです。僕たちはまだ成長しています。Toshiと僕がX Japanを始め、全てを注ぎ込みました。「X Japanが失敗したら、他のことをしよう」とは考えませんでした。X Japanを特別にしているのは、僕たちのファンへの思いとファンの僕たちへの思いです。
TJ: スタン・リー氏と始められた新プロジェクト「ブラッド・レッド・ドラゴン」について教えてください。
YOSHIKI: 「ブラッド・レッド・ドラゴン」はアメリカのコミックです。今、新しいイメージを使って、インタラクティブなデジタルフォーマットを制作中です。スタン・リー氏と僕はたいてい意見が合うのですが、いろんなプロダクションの人が関わっているので、これまでに何度か方向転換がありました。ニューヨーク・コミック・コンやロサンゼルスのコミカゼで新しいイメージをいくつか公開しました。スタン・リー氏と一緒にお仕事させて頂けて光栄です。彼はとてもクールです。最近一緒にパネリストをしました。すごく頭が良くて、優しくて、スキがなくて、完璧なんです。驚くほど素敵な人です。伝説のアイコンですよ。彼と食事をしたり、彼のオフィスで話している時、「今、スタン・リーと話してるんだ!」と思うほど、一緒にいるだけで嬉しいです。だから、一緒に何かを作れるなんて、世界一ラッキーですよね。僕には世界中に素晴らしいファンがいるし、素敵な友人もいます。ファンと話している時、スタン・リー氏と話している時と同じ気持ちになります。出会えたことをすごくラッキーで、誇りに感じるんです。
TJ: SXSW(サウス・バイ・サウスウエスト)でご自身のホログラムと競演されていかがでしたか。
YOSHIKI: 面白かったんですが、自分と向かい合って演奏するというのは大変な作業でした。僕の演奏に合わせてホログラムがどう動くのか、秒単位で覚えておかなければいけなかったので。
TJ: Violet UKではケイティ・フィッツジェラルド氏の歌声がポップとクラシックのメロディーに美しく重なっていますが、Yoshikiさんが作詞されたのですか?
YOSHIKI: はい、そうです。
TJ: 新曲「HERO」について教えてください。
YOSHIKI: 僕は東映アニメーションの方たちとは長い付き合いなんです。それで、ぎりぎりになって作曲家の方が抜けたか何かで、締め切りまでほぼ時間がないけれど曲を作ってくれないかと頼まれたんです。でも、僕はクラシカルツアーの準備の最中で、頭の中はクラシックで一杯でした。だから、アクション・アニメだけど、クラシックなバラードでもいいかと聞くと、すごく良いアイデアだ、と言われたので、「わかりました。締め切りに間に合うか頑張ってみます」と言ったんです。一週間以内で終わり、ミュージックビデオ撮影までやりました。東映アニメーションの方たちと長い付き合いであるだけでなく、僕自身も聖闘士星矢の大ファンなので、寝ないで頑張りました。すごく面白いアニメなので、参加させて頂けて光栄です。
TJ: 他に好きなアニメは?
YOSHIKI:「NARUTO」や「BLEACH」、「ONE PIECE」や「DEATH NOTE」、「進撃の巨人」が好きです。
TJ: 今後映画のサウンドトラックにも挑戦してみたいですか?
YOSHIKI: はい。ぜひしてみたいです。
TJ: マディソン・スクエア・ガーデンで撮影されていたドキュメンタリーについて教えてください。
YOSHIKI: X Japanに起きたいろいろなことについて聞かれて答えると、「信じられない」と言われます。事実にしては悲し過ぎるし、普通じゃないですからね。ご存知の通り、X Japanは全てがそんな感じです。それで、自分たちで映画を作ったらどうかと勧められたんです。皆びっくりすると思いますよ。昔に戻って全てを思い出すのは辛かったんですが、その価値はあったと思います。まだ制作中ですが、今年後半には何らかの形になるのではないかと思います。プロデューサーは、「シュガーマン 奇跡に愛された男」という映画を手がけられた方です。また、監督は、ザ・ローリング・ストーンズの映画を監督したスティーヴン・カイヤック氏です。最高の映画になると思います。ファンの皆に見てもらって、皆も僕たちの歴史の一部だということを感じてほしいです。皆が僕たちを世界に広めてくれました。「不可能はない」ので、これからもどんどん続けましょう。僕、いえ、僕たちが今あるのはファンの皆のおかげです。
The late Nirvana singer/guitarist Kurt Cobain was one of their biggest fans, saying, “When I finally got to see them live, I was transformed into a hysterical nine-year-old girl at a Beatles concert.” Formed in 1981, the Osaka-based all-female band Shonen Knife influenced ‘90s alternative acts like Sonic Youth and Redd Kross with driving beats, catchy melodies and simplistic lyrics about food and animals like “Banana Chips,” “I Am A Cat,” “Ramen Rock” and “Cannibal Papaya.” Tokyo Journal Executive Editor Anthony Al-Jamie carried out a backstage interview with singer/guitarist/founder Naoko Yamano, bassist Ritsuko Taneda and drummer Emi Morimoto prior to their October 2014 gig at the Bootleg Theater in Los Angeles.
FOR those of you who don’t know Kōhaku, I’d like to introduce you to one of the coolest institutions of music not only in Japan but in the world. The closest comparison might be the Eurovision Song Contest, but that would be doing Kōhaku a disservice. Kōhaku is an annual New Year’s music “competition” between male and female artists. There’s no prize and the competition part is really just in good fun to give the viewers a rooting interest. The 66th annual Kōhaku was broadcast live from NHK Hall in Tokyo. What’s so cool about it? Well, it’s one act after another in rapid succession with little talk in between and no long-winded thank you speeches. Each artist’s set is unique and even more extravagant than the previous one, which seems inconceivable for over 50 acts on a live TV broadcast. Only with Japan’s superhuman work ethic, unwavering discipline and accurate-to-the-second planning could such a mammoth of a show be pulled off year after year.
BABYMETAL are breaking new ground in more ways than one.