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X Japan Rocks New York - SUGIZO

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X Japan Rocks New York - SUGIZO Photograph by Adrian Wilson

衝撃のギター&バイオリンSUGIZO

その胸中をストレートに語る

 

TJ: マディソン・スクエア・ガーデンはいかがでしたか?
SUGIZO: 最高でした。名誉ある場所で、ベストを尽くしました。世界各地から来たファンの皆からの熱い思いを感じました。ライブの間中、結束感がありました。僕にとってはそれが一番大切で、すごく嬉しかったです。僕のギタープレイはベストではありませんでしたが、あの情熱は最高でした。X Japanのファンの皆が本当に大好きです。素敵な人たちです。

TJ: なぜギタープレイはベストではなかったと感じられたのですか?
SUGIZO: わかりません。いつももっと良くなるだろうと思っていますし、ミュージシャンとして成長して、もっと良くしたいと思っています。

TJ: 9月の横浜でのライブと10月のマディソン・スクエア・ガーデンでのライブはどう違いましたか?
SUGIZO: スタッフはほとんど一緒でしたが、ステージが違いました。マディソン・スクエア・ガーデンのステージは本当に小さいんです。東京ドームや横浜アリーナの方がずっと大きいです。そこが大きなチャレンジでした。でも、第一印象は「マディソン・スクエア・ガーデンってそんなに大きくないんだ。オッケー、オッケー。わかった」という感じで、リラックスすることができました。

TJ: ファンの皆さんはどうでしたか?
SUGIZO: 最高でしたよ、もちろん。いろんな人種の人が来てくれていて、素晴らしい光景でした。彼らの気持ちや情熱が、本当に素晴らしかったです。いつでもまた皆のために演奏したいです。

TJ: ギターもバイオリンも素晴らしい演奏ですね。バイオリンはどこで習得されたのですか?
SUGIZO: 両親がオーケストラの団員で、音楽教育にすごく熱心だったんです。バイオリンを始めた時はまだ3歳だったので、初めて弾いた時のことは覚えていませんが、両親の思い入れが強すぎて負担でした。小さい頃はバイオリンを弾くのが嫌いだったし、音楽も嫌いでした。

TJ: ご両親はお二人とも東京都交響楽団の団員だったのですよね。
SUGIZO: はい。それで子どもの頃、強制的にバイオリンを習わされました。子供の気持ちなんて考えてなかったのだと思います。ただプロの音楽家になってほしかったんです。

TJ: 英語はどうやって勉強されましたか?
SUGIZO: 英語は得意ではないんです。娘に毎日笑われています。この子が娘の瑠奈です。カリフォルニアに住んでいます。

TJ: 初めまして。アメリカには長く住んでおられるのですか?
LUNA: はい。ずっとこっちに住んでいます。

TJ: 娘さんには幼い頃から音楽を教えられましたか?
SUGIZO: いえ。本人がやりたいのなら、もちろん何でも喜んで教えてやろうと思います。今は歌をやりたいようです。歌とダンスが好きみたいです。聞いてみてはいるのですが、どうなんでしょうね。今は18歳で、難しい年頃です。娘が望むなら心から応援しますが、本人次第ですね。

TJ: アメリカに住んだことは?
SUGIZO: ありません。ロンドンには、初のソロプロジェクトのレコーディングで1年ほど住んだことがあります。ロンドンにはたくさん友人がいたし、現地の文化やミュージック・シーンなど、丸ごと楽しみました。ドラムとベースの層が厚いんです。イギリスのテクノやヒップホップは素晴らしいと思いました。僕のギターの師匠である土屋昌巳氏と、僕の親友で、日本でベースをやっていたミック・カーン氏と遊んだりしました。ミックは数年前に亡くなったのですが。

TJ: X Japanとの出会いは?
SUGIZO: LUNA SEAがインディーズ・ロックで有名な目黒でライブをしていた頃、X Japanはすでに日本では大スターでしたが、僕たちが演奏していた小さなライブハウス「目黒鹿鳴館」でもライブをしていました。最初にHIDEさんと会ったのは1990年、僕は20歳くらいで目黒のパブだったと思います。X Japan の中ではHIDEさんと最初に知り合いました。音楽について語り合い、親しくなりました。

TJ: HIDEさんとは親しかったのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんが僕のことをYoshikiさんに紹介してくれました。HIDEさんは兄のような存在でした。後輩ミュージシャンのことをいつも気にかけてくれたんです。とても優しくて、かわいいところもありました。でも時には激しい一面を見せたり、やんちゃをすることもありました。どんな時も魅力的でした。

TJ: HIDEさんのことを思い出す時、どんなことを思われますか?
SUGIZO とても寂しいです。魅力的な人柄がとても恋しいです。もう一緒にはいられないんだと改めて感じます。 かつてはいつも一緒に飲みに行って笑ったり、一緒に演奏したりしていました。あの頃がとても恋しいです。亡くなる前の年に行き違いがあって、亡くなる直前は関係がこじれてしまっていました。そんな中でHIDEさんが亡くなってしまい、当時は素直になれませんでしたが、今は彼の素晴らしさを思い出します。とても良い思い出です。

TJ: なぜ当時うまくいっていなかったのですか?
SUGIZO: 原因は音楽的なことです。兄弟げんかのように、ささいなことがきっかけでした。

TJ: ミュージシャンとして、HIDEさんのことをどう思いますか?
SUGIZO: アイデア豊かな人でした。アーティストとしての創造性に優れていた。彼はただのうまいギタリストではありたくなかった。ギタリストであるだけでは満足できず、アーティスト、ギタリスト、ボーカリスト、プロデューサー、クリエイターとして、もっとスケールの大きなことをやりたかったんです。ミュージシャンとしてたくさんの顔を持つ彼から僕は大きな影響を受けました。HIDEさんは本当に、まれに見る才能に恵まれていました。

TJ: HIDEさんがLUNA SEAを発掘したということになるのでしょうか。HIDEさんがSUGIZOさんをYoshikiさんに紹介したんですよね?
SUGIZO: はい、そうです。

TJ: そしてYoshikiさんのエクスタシー・レコードがLUNA SEAのアルバムをプロデュースしたのですか?
SUGIZO: はい。HIDEさんは僕たちとエクスタシー・レコードの仲を取り持ったキューピッドです。

TJ: HIDEさんとYoshikiさんの関係は?
SUGIZO: 兄弟のようでした。親友だったと思います。HIDEさんが、Yoshikiさんのお母さんのように感じられる時もありました。Yoshikiさんのことを気遣い、心から大切に思っていました。いつも僕に、「僕はいつかYoshikiの本を書く。僕には書ける」と言っていました。HIDEさんはYoshikiさんのことをいつも見ていて、「Yoshikiのことを完璧に理解することはできないけど、興味が尽きない人間だよね。見ていて面白いよ」と言っていました。

TJ: どちらが年上ですか?
SUGIZO: HIDEさんの方がYoshikiさんより1歳上でした。

TJ: HIDEさんが亡くなられたことは本当にお辛かったでしょうね。
SUGIZO: はい。本当に辛かったです。兄を亡くしたようでした。

TJ: 音楽に何か影響はありましたか?
SUGIZO: どうでしょう。音楽が変わったかどうかはわかりませんが、僕の心はおそらく変わったと思います。HIDEさんの優しい、素敵な精神を受け継ぎたいと思っています。

TJ: メンバーの皆さんからSUGIZOさんは真面目で練習熱心だと伺いました。今日インタビューさせていただいたHEATHさんも、そうおっしゃっていましたよ。
SUGIZO: 僕から見れば、HEATHさんこそとても真面目なミュージシャンだと思います。ステージ裏でもいつもベースを弾いているし、四六時中練習しています。素晴らしいプレイヤーだと思います。

TJ: Yoshikiさんと一緒にお仕事していてよかったと思うことは?
SUGIZO: 何より、Yoshikiさんの音楽に触れられること。人間的にも素晴らしくて、兄のような存在です。

TJ: 年齢差は?
SUGIZO: 4歳違いです。Yoshikiさんは誕生日をXにしているので、秘密かもしれません(笑)。でも、皆知っていますよ。僕より4歳上です。

TJ: Yoshikiさんの一番ユニークなところは?
SUGIZO: すごくマイペースなことですね。

TJ: ご自身のドラムのビートと同じなんですね!
SUGIZO: そうですね(笑)。

TJ: Toshiさんについて何か教えてください。
SUGIZO: 僕と話す時、彼は非常にシリアスです。とても尊敬していますが、ミステリアスでもあります。すごく優しいんですが、ステージに立つと別人のようになります。歌声が素晴らしいですね。Toshiさんの歌声が本当に好きです。あんな人は他にはいません。

TJ: PATAさんについてはいかがですか?
SUGIZO: 僕はPATAさんが大好きです。仲が良くて、一緒に飲んだりします。X Japanのワールドツアーでは、Yoshikiさんはたくさんのスタッフや友人などを引き連れ、Toshiさんともども外に繰り出していましたが、PATAさんと僕は2人で飲んでました。ギタリストの性なのかもしれません。飲まなくては!と思うんです。僕から見ると、PATAさんは天性のロック・ギタリストです。彼のギターサウンドを尊敬してるし、スタイルも大好きです。

TJ: なぜX Japanはこれほど成功したのでしょうか?
SUGIZO: 音楽の力だと思います。X Japanにはすごくカリスマ性があります。90年代初めの音楽ファンが求めていたのは、X Japanが生み出す力強くて美しい音楽だったんです。

TJ: X Japanのメンバーでよかったと感じるのは?
SUGIZO: X Japanの好きなところはたくさんあります。今もHIDEさんとつながっていると強く感じるし、ステージに一緒にいるような気がすることもあります。ギターを弾く時、僕は一人じゃありません。何かスピリチュアルなものを強く感じます。一緒に演奏したいというHIDEさんの意志と思いを、時々、いえ、ステージではいつも感じます。僕は一人じゃないと思えることがとても嬉しいです。

TJ: X Japanでの一番の思い出は?
SUGIZO:ワールドツアーです。3年前に長期のワールドツアーをやりました。どこの国も、どこの会場も素晴らしかったです。世界中のファンの皆さんが大好きです。もう一度会いたいファンがたくさんいます。僕の一番の思い出は、ファンひとりひとりの顔や魂、声、涙、そういったもの全てです。

TJ: ご自身の考えを巧みに発信なさっていますね。
SUGIZO: 僕は世の中に対していろいろ意見を持っています。それはアーティストの使命だと思っています。例えば、今の日本の政治情勢は非常に厳しいですが、僕はどんなことにも僕なりの考えを持っています。友人やファンを大切に思うからこそ、皆と意見を共有したいと思っています。

TJ: 坂本龍一氏と共演しておられますが、坂本氏は積極的な社会活動や環境への関心、反原発の主張で知られていますね。
SUGIZO: はい。彼は僕の良き師です。13歳の頃から大ファンでした。実際にお会いしたのは1995年だったと思います。日本の音楽雑誌のインタビューでお会いしました。もちろん、僕は大ファンですと言いました。すると、喜んでくれました、いえ、そうだといいんですが。とにかくそれが最初の出会いでした。

TJ: 政治的に影響を受けましたか?
SUGIZO: 彼には僕を感化しようなんていう気は全くなかったんですが、僕は彼から多くを学んだと思います。僕に一番大きな影響を与えたのは娘ですね。娘が生まれて、全てが変わりました。政治や哲学について考えるようになりました。娘が生まれる前は、僕はまるで子供でした。社会に対して何の責任も感じておらず、全然気にもしていませんでした。でも、娘を持って初めて、次世代のために世の中をより良くするのは自分たちの責任なのだと気付きました。

TJ: 選挙戦出馬のご予定は?
SUGIZO: ありません。でも、良い政治家の方々は応援したいです。社会問題を無視しないことは、全てのアーティストにとっての責任です。

TJ: どのような問題に一番関心がありますか?
SUGIZO: 例えば、エネルギー問題や生態系に関する問題、もちろん日本の景気や戦争、原子力発電などにも関心があります。世界中の人が平和を望んでいると思います。戦争をしたがるのはごく一部の人たちで、それはお金のためです。原子力発電に関しても同じです。それによって利益を得る、ごく一部の権力者が支持しているのです。今、日中韓の関係は非常に複雑ですが、音楽ファンやアーティストはそんな状況を望んでいません。例えば、僕たちは中国のファンの皆さんが大好きで、中国や韓国の素敵なファンの皆さんもX Japanが好きです。それは素晴らしいことです。権力に固執する一部の保守的な政治家によって対立が生まれていることが残念です。でも、僕たちアーティストやミュージシャン、映画やエンターテインメント業界の人たちのほとんどは、ひたすら平和を望んでいるのです。

TJ: 今後の個人的なご予定は?
SUGIZO: 今は東京に住んでいてとても忙しくしています。生まれ育った神奈川の町が大好きで、1日休みを取って故郷で過ごすのがささやかな夢ですね。

TJ: よく運動されますか?
SUGIZO: はい。すごく大切ですね。プロのアスリートや武道家の方々のように、僕たちにとっても体調管理は非常に重要です。体調が万全でないと、ベストの演奏ができません。僕たちひとりひとり、ギターやベース、Yoshikiさんのドラム、またToshiさんの声にとっては特にそうです。Toshiさんの声は高くて、すごく魅力的です。でも喉に特別なケアをする必要があります。ワールドツアーの時は特に、彼の声や体調の管理は最優先事項です。湿度や気温など、あらゆる条件が変わるので、僕たち全員にとって、特にToshiさんにとっては大変です。

TJ: X JapanとLUNA SEAで演奏するのは何が違いますか?
SUGIZO: スタイルです。X Japanで演奏するには体を鍛える必要があります。

TJ:ミュージシャンになってなかったら、何をしていたと思いますか?
SUGIZO: 何でしょうね。難しい質問ですが、画家か詩人、もしくは武道家ではないでしょうか。子どもの頃、ボクシングが大好きでプロになりたいと思っていたし、ブルース・リー氏が生み出したジークンドーを15年間続けていたんです。最近は練習していませんが、武道は今も好きです。

TJ: 音楽のインスピレーションはどこから得ていますか?
SUGIZO: 僕の音楽は非常に精神的なものです。普通のロックとは違います。演奏する時、そこにいる人や、世界中の人と一体感を感じたいと思っています。うまく説明できませんが、スピリチュアルで、宇宙的な体験をしたいのです。あらゆるジャンルの音楽を取り入れて、スピリチュアルな音楽を作りたいです。

TJ: 他の楽器についてはいかがですか?トランペットは今も演奏されますか?
SUGIZO: したいのですが、一番大切なバイオリンとギターに集中しなくてはいけないので時間がないんです。

TJ: 海外ツアーは今後も行う予定ですか?
SUGIZO: ぜひやりたいです。X Japanは今年2回目のワールドツアーをしようと考えていますし、LUNA SEAや自分のソロ活動といった他の活動もあります。でも全ての活動において、海外でも演奏したいと思っています。僕にとっては大切なことなのです。

TJ: ミュージシャンであることに満足していますか?
SUGIZO: はい。基本的にはとても幸せです。楽ではないです。生活やスケジュールは大変ですが、音楽が大好きなので幸せですね。僕の使命です。

TJ: 一番大変なことは何ですか?
SUGIZO: ハードスケジュールをこなすことです。いつも忙しいんです。ゆっくりする時間が全然ありません。そうしたいんですが。今年はそんな時間ができたらいいですね。

 

 

Written By:

Anthony Al-Jamie

Anthony Al-Jamie lived and worked in Japan for over 20 years. His in-depth understanding of Japanese language and culture has allowed him to carry out interviews with many of the most renowned individuals in Japan. He first began writing for the Tokyo Journal in the 1990s as Education Editor, later he was promoted to Senior Editor, and eventually International Editor and Executive Editor. He currently serves the Tokyo Journal as Editor-in-Chief.



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